青山です。 Sat, Apr 17, 1999 at 02:25:10AM +0900 において Shin-ichiro Hara さん曰く: > といっていることとかなり近いですよね。ということは、foo.e(i) > が2回の評価で同じオブジェクト返したということが「参照している > と言える」ことの要件だと主張しているに近い。この主張にも納得で > きる所がありますが。 あ、いえ、これは回数ではなく、先の Fri, Apr 16, 1999 at 06:03:30PM +0900 において Shin-ichiro Hara さん曰く: > このときオブジェクト foo は "obj1", "obj2" を参照していると > 言っていいのでしょうか?参照している様にも見えるけど、単に参 > 照関係を横から見ているだけの様にも思えるし。 この横から見ているだけのようという事に対して、手も加えられるのだから、 やはり横から見ているのではなく、同じ立場で参照しているように思われると いう意味での foo.e().concat() の例のつもりでした。 > > 上記のように語感の違い程度の差しか無いとは思いますが、長期間の場合、束 > > 縛と呼び、短期間の場合、参照と呼ぶとしっくりくるような感じはします。 > > 長期短期という事の定義がもう少し明確にできないでしょうか。 > > i = 0 > loop do > i += 1 > end > > この i の束縛はかなり短期だけど、参照と呼ぶべきでしょうか? ああ、なるほど。これは難しいですね。 語感の差としては、束縛はつなぎ止めるというような感覚がありますが、一方、 参照の場合は○○を参照というような一時的な、見るだけというような感じの 感覚があります。 p a この場合、a の束縛しているオブジェクトを参照しているというような言い方 も出来そうですよね。先のコメントはそのような意味での foo.e() は参照と いった方がしっくりきそうという発言です。 他の方の意見にもありましたが、参照には上記のような「○○を見る」という 意味に近いような感覚があるように思われます。 「束縛する」と「参照する」ではその差がよりはっきりとしますね。 foo = [] foo.push("bar") # これは [] に "bar" を参照するのではなく、束縛する。 foo[0] # これは [0] の "bar" を束縛するのではなく、参照する。 といった方が文章として自然ですよね。 -- 青山 和光 Wakou Aoyama <wakou / fsinet.or.jp>