In message <20040714.180715.08324492.nobsun / sampou.org>, Nobuo Yamashita writes:
>	(1) Haskell の情報を日本語で提供することの重要性
>	(2) 英語の情報を和訳することでどの程度 Haskell の普及を助けているか
>	(3) 日本の技術者がどれくらい日本語の情報を必要としているか
>	(4) その他何でも日本語で情報を提供することに関して思うこと
>

では、私も個人的意見を… (1)-(4) の形式に答えてないのですけど。

優秀なプログラマになる可能性を持った人が全て英語を苦もなく操るとは
限らないからやはり邦訳の情報を提供することは重要なんじゃないでしょうか?
#限らないんだけど、すげ〜って思う人は大抵英語を苦もなく操るんだけどさ。

で、鍵はそもそも英語の文書を読む動機とその時に英語の文書に対して感じる
障壁の高さではないでしょうか?

そもそも英語に対して障壁を感じる人間がどんなことが書いてあるのかも、
それによって何が得られるのかも分からない状況でわざわざ時間を割いて読むか?
ということで、おそらくノーじゃないかな。
イエスなら、それは英語に対してほとんど障壁を感じてないんでしょう。
#もしくはツカミが相当キャッチーなんか?

例えば Haskell と私伊東個人で言えば、
WiLiKi で Haskell という言語の存在を初めて知り、すごい言語の様だ、
という印象が皆の会話から伝わって来るので、ちょいと勉強してみようか?
という動機が生まれたんですけど、だからといって英語の文書を何がなんでも読もう
とする程にはならない。
私の英語に対する苦手意識が現時点での Haskell を学んでみたいという動機より
強いからでしょう。
Haskell を知って、強烈に学びたいと思えば、英語でも読むようになるかも知れません。
じゃぁそれほど強烈に学びたいと思わせられるのはどういうきっかけなんでしょうね。
#これは翻訳が無い状況で魅きつけられたやましたさんこそ分かる(はず)

日本語訳が果たす役割はでかいと思います。
SICP なんかでも日本語訳がなきゃ私は読んでないと思います。
平易な英語だと言われても、どれほど楽しいのかが読む前に分からなきゃ英語を
読破してやろうとは思えないです。
でも逆にどれほど楽しいかは読まなきゃ分からんというのもあるわけで、
矛盾した状況に陥ってしまうわけです。

質問に対する形式を無視した回答ですけど、参考になれば幸いです。

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伊東 勝利 <cut-sea> How's it going to END?
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